2025年11月 金谷顧問の訪中記 その4

10月某日,中日友好病院の姚先生からWEB会議の申し込みがあり,症例の相談がありました。

1例目は50歳男性。食道胃接合部直下の大きな3型腫瘍で,食道浸潤は2cm以上。化学療法(SOXx6コース)を行い著効はしていないとのこと。2例目も似た症例で,40歳男性。食道胃接合部直下のやや小ぶりな3型腫瘍。食道浸潤は1cm程度。こちらは化学療法(SOXx3コース)がかなり効いており,腫瘍は縮小しているとのこと。これら2例の食道胃接合部癌を手術しに来てほしいとのことでした。中国では食道癌は胸部外科(肺外科)の受け持ちなので,このような食道胃接合部癌や胃癌が食道に浸潤した症例に対してどのように治療すべきかが大きな議論になっており,胃も食道もこなす日本の消化器外科医に学ぼうとしているようです。

訪れたのは陝西(センセイ)省楡林(ユリン)市です。もちろん聞いたことはありません。ほとんどの日本人は知らないのではないでしょうか。北京から500km程度で,日本からの直行便はなく,北京で国内線に乗り換えて行きました。陝西省第2の都市で,人口は約385万。ちなみに陝西省第一の都市,省都は西安です。内モンゴルに近く,万里の長城が市内を走っているとのことでした。古くは石炭,現在は天然ガスと石油の街で,この20年ほどで砂漠の上に作られた人工の街とのことでした。気温は大阪と10°程度は違い,非常に寒かったです。

 

手術を行ったのは,西安交通大学第一附属医院榆林病院です。コロナ禍以前に,西安にある西安交通大学附属病院の本院では手術を行ったことがあり,不思議な縁を感じます。1650床の大きな病院で,増床に向けての工事中でした。近々2500床になるとのこと。規模が違います。胃癌の多発地帯で手術は年400件とのことでした。

 

1件目の手術は腹腔鏡下胃全摘+下部食道切除でしたが,縦隔内の吻合操作の途中で,胸腔鏡手術に移行せざるを得なくなってしまいました。そんなこんなで時間がかかり,本来は1日に2件の手術を行う予定だったのですが,2件目の手術は翌日に持ち越しとなってしまいました。写真は胸腔鏡での操作の外観ですが,この写真をみてもわかるとおり,大きなカメラで撮影しており,口元にはマイクをつけられるし,何だかおおげさだな~と思っていたら,実は病院主催の研究会が行われており,そこで生中継されていたと後で知りました。前もって教えてくれていたら少しは気を遣ったのに,道具や糸が揃っておらずイライラする手術だったので,術中,結構きつく言ったりして(もちろん日本語でですが)すごく反省させられました。どんな状況であっても常に沈着冷静,平常心で,肝に命じなくてはなりません。

2件目の手術は本来帰国するはずの午前中に行いました。昨日の胸腔鏡への移行もあったので,腹腔鏡下噴門側胃切除+下部食道切除をより慎重に行い。無事に終了しています。

手術の後は,食事を振る舞っていただきました。モンゴルが近いからでしょうか,羊の肉がメインでした。写真は,お店で外科部長の武(ウー)先生と撮ったものです。まだ43歳と若いのに外科のトップで,車もスマホも高級品で裕福そうだと思ったら,共産党員とのことでした。公務員と共産党員は国産しか買えないとのこと,不便もあるのでしょうが,きっと出世は早いんだと思います。

帰りは北京の大興国際空港で国内線から国際線に乗り換え帰国しました。北京には昔からある北京首都国際空港(PEK)と比較的新しい北京大興国際空港(PKX)の2つの国際空港がありますが,こちらを利用したのは初めてでした。有名なザハさんが設計した空港で巨大です。全景はヒトデの様な形をしており,それぞれのゲートまで電車等を使う必要はなくアクセスはよく考えられていると感心しました。広い土地があるからこそ実現できる形なんだろうと思います。

今回はスケジュールも変わるし,なかなか刺激的な訪中でした。

やはり中国は大きいです。地方にも知らない大きな都市がたくさんあるし,どこにいっても巨大な病院ばかりです。今回の食道胃接合部癌の手術など,われわれ日本の消化器外科医が貢献できる部分はまだたくさんありますが,今回の手術は本当に大変でした。たとえアウェイであっても平常心で手術ができるようにしておかなければならないと痛感した次第です。